ハイキング同好会1月例会のご報告です。 1月21日、高槻市にある西暦507年に即位された26代天皇である継体天皇(聖徳太子の直系の曽祖父)の真の陵墓とされる今城塚古墳のエリアを散策しました。
当日は、心配されていた寒さもそれほどではなく、JR高槻駅のひとつ大阪よりの摂津富田駅で10時に集合しました。駅からコンビニひとつない閑静な住宅街を通り女瀬川(にょぜがわ)沿いに歩を進め30分足らずで今城塚にたどり着きました。これは、継体天皇の真の陵墓であるとする有力な学説がある、1500年前に建設された巨大な前方後円墳です。前方後円墳は日本特有の墳墓形式で、古墳時代を通じて造られ、円形の墳丘と方形の墳丘が結びつけられたような形をしています。今城塚古墳は長年放置され荒れ放題でしたが2011年に完了した復元・整備事業により、大王(おおきみ)クラスの人物を埋葬した古墳のかつての壮大さを取り戻しています。墳丘の全長は190メートル。内濠と外濠の二重の周濠がめぐっており、外濠と周辺の外低部分前を含めるとその規模は350メートルにのぼります。ただ、俯瞰的に見ていないため、その壮大さは俄かには理解できませんでした。
内豪を囲む堤の上の円筒埴輪や外豪の白くて可愛いふゆざくら(冬桜)を見ながら、まず、入り口で場形埴輪がお出迎えしてくれる今城塚古代歴史館を訪れました。館内には三島(高槻市と茨木市)古墳群の歴史・概要をはじめ今城塚古墳の発掘調査で判明したさまざまな工夫を実物大のジオラマ模型や映像があり、実物の埴輪や豊富な出土品などが展示されています。幸いなことに、私たちを担当してくださるボランティアのガイドさんがおられて(予約不可)、丁寧に説明してくださいました。彼は博識であるとともに雄弁で、面白く、楽しく鑑賞することができました。
歴史館を後にして、ガイドさんに導かれ、まず埴輪祭祀区に赴きました。その区画規模は東西約65メートル、南北約6メートルと日本最大規模です。約200の出土した埴輪の種類も、人物から動物、家形と実にさまざまで、本古墳に眠る被葬者の権力がいかに強大であったかは想像に難くありません。現在、ここには出土した埴輪のレプリカが並べられ、埴輪による古代の祭祀の様子が再現されています。
大王クラスの古墳は宮内庁が陵墓として厳重に管理しているため、内部に立ち入ることはできないのですが、宮内庁は本古墳を継体天皇の陵墓と治定していないため、誰でも自由に木立に覆われた墳丘に登ることができます。私たちも墳丘後円部に足を踏み入れました。地面を覆う夥しい落ち葉と急な道のりで、足を滑らすことことのないよう慎重に歩を進めました。中心の「パワー・スポット」にたどり着き、この円盤の上に立つことで、みな力をもらいました。
左から児山さん、脇地さん、釜坂さん、林さん、村本、上野さん、佐々木さん、佐藤さん
その後、社内に高槻市のマスコットキャラクターである「はこたん」のポスターが貼ってあるバスで摂津富田駅まで戻り、ランチのみ特別参加の門脇さんが待っておられるイタリアンレストランに12時30分ごろ到着し、祝杯をあげました。グラタンやドリアなどをいただきましたが、本格的な料理でした。多少時間はかかりましたが、窯で焼かれ熱々の状態で提供され、とても美味しかったです。久しぶりの門脇さんもお元気そうで、近況報告等々で、会話も大いに盛り上がりました。打ち上げ兼ランチ後、いつものように、笑顔でそれぞれ帰途につきました。7年にも及ぶ年月と2千人もの労働者を投じ生前に建設されたとされる天皇の陵墓を訪れ、いろいろな発見や学びがあり、充実した一日でした。
次回の例会は2023年3月18日(土)を予定しています。興味のある方は是非ご参加ください。お待ちしております。
写真提供:脇地さん、上野さん
お問合せ先fumiko73506@gmail.com
(村本史子記)
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