第163回 梅宮大社他早咲きの梅を訪ねて
日 時: 2月21日(土曜日)
コース: 松尾大社駅→梅宮大社→神苑散策→松尾大社→嵐山→渡月橋→いこい(湯豆腐で昼食)→解散
参 加 者: 石原氏、井上氏、於保氏、門脇氏、釜坂氏、児山氏、佐々木さん、佐藤氏、中居氏、林氏、脇地氏、木津 以上12名
昨日まで結構寒い日が続いていましたが、久し振りの好天で気温も随分上がりました。 桂駅で待ち合わせて、一緒に「松尾大社」まで嵐山線に乗りましたが、阪急には珍しく片側1列席の展望車両が走っていました。 下車して直ぐの「松尾橋」を渡ると「罧原堤四条」の標識が目に付きました。 「罧」と言う字は今まで見たことが無く、何と読むのかも解りませんでしたが、帰宅後辞書に拠ると「ふし」と読み「柴を束ねたもので、水に沈めて魚を捕るためのもの」とのことでした。
「梅宮大社」の付近には紅白の梅がぼつぼつと咲き始めていました。境内の神苑に入ると手入れの行き届いた池があり、大きな鯉が泳いでいました。 この池は主祭神「大山祇(おおやまつみ)神」の奥方とされる「木花咲耶姫命」に因んだ「咲耶池」と言うそうで、どちらも酒造りを司る神様とのことです。
その池の島に綺麗な藁葺きの建物がありましたが、説明文に拠りますと、小倉百人一首の大納言源経信(つねのぶ)に「夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く」と詠われた「芦のまろや」が是だそうです。 池の周りでは、漸く開き始めた紅白の梅が久し振りの青空に映えていました。
お庭を一周してから、楼門の前で記念写真を撮りました。 楼門の軒瓦には「橘」の紋が入っていますがこれは当社が橘氏一門の氏神であることに拠ると思われます。
通常の地図・駅名などでは「梅宮大社」とされていますが、「延喜式」による社格は官幣中社とされています。 祭神が皇族では無く、朝廷につながる訳でもないので「大社」とはされなかったからでしょう。
また松尾橋を渡って松尾大社に向かいましたが、途中で見上げた愛宕山は頂上付近に白く雪が残っていました。 松尾大社にお詣りした頃に漸く連絡が取れてお昼は渡月橋近くの「湯豆腐」お店の予約がとれました。 地図では約2㌔㍍ありますが、車道では無く住宅地の中をうねうねと歩いて行くことにしました。
途中、「西行法師旧跡」の標識のある「二尊山西光院」の前を通りました。 ここは「西行法師」が出家直後庵を結んだされているようです。
だんだん車の通行量が増えてきてお互いの連絡が取りにくくなって来ていましたがあまり気にしないで漫然と渡月橋に向かいました。 今から考えますと目的地の名前や位置などが全く徹底していませんでした。 渡月橋を渡って、川沿いに左折直ぐの目的地に到着したときは一行6~7人だけでした。 かなりの数の方が渡月橋から直進されたようで、連絡が悪かったことを反省しました。
少しひんやりとはしていたのですが、見晴らしが格別でしたので、川沿いにテラス場に設置された席で大方の方が「湯豆腐定食」でお昼を頂きました。 生ビールや熱燗で疲れた脚をいたわったことです。
「木津記」
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