富山康男さんからお便りを頂きました。

過日富山さんのご自宅に石原さんとお邪魔して楽しいひと時をご一緒しました。そのときに社友会ホームページへの寄稿をお願いしたところ快く引き受けて下さいました。 〔於保 記〕

81歳で発足したばかりのAZハイキング同好会に参加、92歳で膝を痛めリタイアしました。いろんな病気を抱え乍ら、毎日テレビの番人と言った状況で近況などありません。(大正8年生まれの現在95歳)

今年は先の大戦の70周年、テレビ・新聞などで関連ニュースが流れております。小生は、中支派遣登軍団第87兵站警備隊(在中支宿県、1000人の部隊)に所属し、そして終戦を迎え大会戦で有名な中支の徐州と言う町の捕虜キャンプで、7ヶ月暮らした(ひどい環境でした)のち、昭和21年3月末、上海から米軍寄贈のL.S.T(3000トン、5ノット、1000人収容)で復員の途につきました。3日目の昼頃、甲板から船員さんが船底の兵に向かって“兵隊さん、日本が見えましたよ”と叫びました。兵一同、“オッ”と声を上げ一斉に甲板に出ました。東支那海の波の向うに三角形の島らしきものが浮き沈みしていました。船員曰く、あれは“本州最南端の開聞岳(920m、鹿児島、指宿温泉の先)ですよ”。兵隊皆、万歳を三唱しました。
戦死覚悟で出征したのに命を得て母国、日本に帰れたこの感激は一生忘れません。そして翌日、無事博多に上陸。街では大きなスピーカーで新しい唄“リンゴの唄”(並木路子唄)が流れていました。
あの唄のおかげで日本の復活を信じました。   [富山 康男]

L.S.Tが博多港に着いたところ(「昭和史」所載)

富山さんを囲んで

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富山康男の長男 :

AZ社友会のみなさま、はじめまして。
表題「富山康男」の件につきまして、補足いたします。
さる平成28年9月13日、急性心不全により、富山康男は故人となりました。
享年98歳でございました。
長男でありますが、ネット上でのトラブル避けるため、当方、伏字にしております。ご容赦ください。
生前、父を支えてくださったAZ皆さまへのご報告と御礼を兼ね、ここに記載することとしました。 合掌。

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