第161回例会 大阪船場界隈の散策と忘年会
日 時: 12月20日(土曜日)
コ ー ス :地下鉄淀屋橋駅(8番出口付近)→懐徳堂旧址碑→大阪市立愛珠幼稚園→緒方病院(4Fの除痘館資料室 洪庵と痘瘡のお話約1時間)→適塾→大阪慶應義塾跡記念碑→十兵衛横町記念碑→高麗橋→里程元標跡の碑→神農さん(少彦名神社)→御霊神社→美々卯本町店
参 加 者: 石原氏、井上氏、門脇氏、釜坂氏、小笹氏、佐々木さん、佐藤夫妻は前半のみ参加、真常氏、竹市氏、林氏、木津 他に特別参加 上野さん 以上13名
残念ながら朝から低い雲が垂れていて、予報では昼前から夕方まで雨と言うことでしたので、雨用意を充分にして出かけました。 8番出口から地上に出てすぐ左の「懐徳堂旧址碑」を見ました。 これは江戸時代後期に大阪の豪商が設立した「学問所」で後に将軍吉宗に公認され、官許の学問所となり、土地も拝領したが、明治政府により廃止されたとされています。 少し西に進んで、現在耐震工事中の市立愛珠幼稚園の向かいの「緒方病院」4階に開かれている「除痘館記念資料室」に行きました。 ここは緒方洪庵が行った「種痘」の偉業を顕彰する資料が揃えられています。 ここで館長さんの種痘に関するお話を約1時間伺いました。 色々な感染症の予防と治療に役立っている「ワクチン」と言う言葉は種痘がウシの痘瘡「牛痘」を摂取することで痘瘡が防げることを記念して、ラテン語の「雌牛 = Vacca」から造られた「種痘」を意識したと思われる言葉ですが、今では意味も広がって使用されている、とのことでした。
ここに場違いなような手塚治虫氏の漫画が展示されていました。 これは手塚氏の曾祖父「手塚良庵(良仙)」が安政2年適塾に入って蘭学を学び、安政5年洪庵が江戸お玉が池に種痘所を開設した際に尽力されたことに因んでいるのだそうです。 なお手塚良庵については「陽だまりの樹(手塚治虫)」に記されています。
「除痘館跡」を出た頃には小降りではありましたが、途切れずに降っていました。 適塾の裏道を抜けて、洪庵の座像を見て表に回りましたが、今回は入りませんでした。 そのまま東に進んで三休橋筋を渡るとビルの前に「慶応」のマークとして有名なペンのぶっ違いが付いた石碑がありました。 ここが一時大阪にあった慶應義塾の跡ということでした。 堺筋を渡って、一筋北に上がった今橋の通りに愛日小学校と船場小学校が統合・新設された開平小学校があります。 この辺りが我が国の金融業発祥の地で、「天五に平五 十兵衛横町跡」と刻まれた石碑があります。 近世広く両替商を営んでいた「天王寺屋五兵衛(現在の大和証券ビル)」と「平野屋五兵衛(現在の開平小)」の豪壮な屋敷跡だそうです。
東横堀川に架かっている「高麗橋」は江戸の「日本橋」、京都の「三条大橋」と並ぶ三名橋と呼ばれ、西日本の街道の起点とされていました。 この橋の西詰めには立派な二階建ての櫓(監視所だったらしい)があり、是を記念した石製の飾灯が高欄に取り付けられています。 橋の東詰袂には「里程元標跡」の石碑があり東海道、山陽道などの起点・終点になっていましたが今では梅田新道に移されています。 ここから御霊神社を経て忘年会の会場「美々卯本町店」まで残念ながらの雨中行進になりました。 忘年会では名物の「うどんすき」を愉しみましたが、お店からの御厚意で、「凍結酒」1本が差し入れられ、飲む方も充分愉しめました。
〔木津記〕
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