第155回 奈良「歴史の道」を訪ねる
日 時: 5月17日(土曜日)
コース : 近鉄 尼ヶ辻駅→垂仁天皇陵(田道間守(たじまもり)の陪塚(ばいちょう))→喜光寺→菅原天満宮→西大寺→近鉄西大寺駅付近の食堂で昼食→秋篠寺→西大寺→近鉄奈良駅
出席者: 石原氏、門脇氏、釜坂氏、木津、小笹氏、児山氏、佐藤氏、真常氏、富山氏、野本さん、林氏、脇地氏 その他特別参加 上野さん 以上13名
前回は思いがけず好天に恵まれ、遅がけの上賀茂神社の桜も何とか見頃を保っていて幸いでした。
今回は「大和西大寺駅」に集合して、各駅停車でもう一駅乗って「尼ヶ辻駅」で下りました。駅舎の横に「是より四丁餘 菅原道 喜光寺・天満宮」の石碑がありました。 しかし我々は標識と逆向きに南に向かいました。 直ぐ目の前に水濠に囲まれた大きな古墳が現れました。 驚いたことに古墳上の森にアオサギが沢山巣作りをしていました。 その隣にはカワウも営巣していましたがこちらの方が森を真っ白に汚しているようでした。 古墳の南東の濠の中に小さな培塚(ばいちょう)がありました。 是が垂仁天皇の御意に従って南の国から「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)(常に芳香をはなつ果実、今の橘と言われている)」を持ち帰った田道間守(たじまもり)の墓所とされている。 言い伝えでは彼が帰国したときには既に天皇は崩御されていたとされています。 戦前ではこの話は教科書に収載されていました。 南の方墳側にある拝礼所で記念写真を撮ってから、古墳に沿って北向きに進み、住宅地を過ぎて「阪奈道路」をまたぐ陸橋に上がると、東大寺の大仏殿の十分の一サイズに作られて「試みの大仏殿」と言われた「喜光寺」が見渡せました。 このお寺はハスの花でも有名ですが、ハスは未だ蕾を付けるところまでも育ってはいませんでした。 直ぐ近くに「菅公御誕生の地」と書かれた菅原神社がありました。 所謂天神さんの中でも、こぢんまりしたお社でした。 お社を囲んで梅の木の鉢植えが沢山置かれていました。 面白いことに中華料理でよく使われるピータンが中国から送られてくる際の竜の模様の描かれた陶器が植木鉢に使われていました。 ここから約30分町中を歩いて、「史跡 西大寺境内」と書かれた石碑のある西大寺の南門から入りました。 門を潜るとまっすぐ五重塔の基壇超しに本堂が見えました。 東門から出ようとした頃に富山さんから西大寺駅に到着されたとの電話が入り、大急ぎで駅に向かいました。 駅の近くに先刻訪問した喜光寺、菅原神社、西大寺、更に午後に予定している秋篠寺が一度に表示されている標識がありました。 駅で富山さんと合流し、近くの食堂で昼食を済ませて秋篠寺に向かいました。 住宅地の中の散策でしたが、あちらこちらのお宅に純白のヤマボウシが清楚な花を開いていました。 秋篠寺の境内の苔は誠に見事なものでした。 帰りは西大寺ではなくて、競輪場を突っ切って「平城駅」に出てここでお別れした方も居られましたが、打ち上げのために近鉄奈良駅まで乗って頂きました。御案内した居酒屋で旧藤沢薬品の歩こう会と鉢合わせして驚きました。
[木津 記]
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